2020年08月28日

樋ノ尻暗渠2(アーチコルベルト)

土木学会土木図書館委員会 図面資料研究小委員会「鉄道工事設計参考図面」定規之部「アーチコルベルト定規」に
”DOUBLE 3FEET"として次のような標準図が掲載されている。

s-3feet.jpg

径間3フィートの2連アーチと言う点で、樋ノ尻暗渠と同じであるが、樋ノ尻暗渠の方が図面に先立って建設されている。
従って、図は参考でしかないが想像はできる。

標準図には詳細寸法が抜けているので図をCADに取り込み上書き採寸した。

標準図の右半分は暗渠のアーチと橋台の図である。
左半分は正面から見た面壁、ウイング等である。

3ft1.jpg

3ft2.jpg

詳細寸法が得られたので立体化CADで作図する
奥行は樋ノ尻暗渠で測定したレンガアーチ長9.37mを用いて作図した。

アーチと橋台部分

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3d12.jpg

3d13.jpg

面壁等を追加した

3d2.jpg
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2020年08月25日

鉄道線路筋踏越御願(2)

 「島本町史」にある「鉄道線路踏越御願」もメモを取っていた。
読み返したとき、「樋ノ屋」の「屋」の字が「尻」に良く似ているぞ、そう感じた。活字体なら見逃すことだろう。

 パソコンで「崩し字」、「屋」や同じく「尻」を検索すると出てくる、出てくる。

s-崩し字.jpg

 似ている。

「樋ノ屋」でなく「樋ノ尻」が正解だと勝手に解釈する。
ちなみに現在も「樋ノ尻公園」と言う名称が残っている。

友人のアルファーから紹介された電子書籍。
明治25年とある。

te.jpg
ここから島本町の一部を抜粋して作成したのが下表

s-島本暗渠位置.jpg

表に、「桜井村大踏切」とある。
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まさか、「桜井村」の村表示が残っているとは驚きだ。

少し京都側へ行く。

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なんと「堂ノ後」。「どうのご」とフリガナがされている。
これも表中にある。

連綿と地名は継承されているものだ。

「樋ノ屋」はきっと「樋の尻」に違いない。
ますますそう思った。
posted by たけちゃん at 08:19| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2020年08月23日

鉄道線路筋踏越御願

コロナのせいで図書館も在室時間をおおむね1時間という制約をかけている。

調べ物も十分な時間がとれないが、「島本町史」に適当な記事を見つけた。
明治初年、鉄道建設により田畑への水路が分断されるため、対策を取ってもらいたいという建白書を地元議会が出したという記事を読んだ覚えがある。それを探しに来たが見当たらない。
代わりに手にした「島本町史」では農民が線路を横切って行かねば仕事にならないというので、時の大阪府知事に表題のような「御願」をしている。

この文書は下書きで提出されたかどうか判明していないが略図を付して事情を説明したとある。

その文書は明治18年9月に島本郡広瀬村の総代2名により起案されている。
樋ノ尻暗渠はまさにこの広瀬村にあり、それは明治8年建設されている。つまり10年たっている。

御願の内容
 「当村領の内 鉄道線路築立の際、当村にて野通い道 四途を潰道に相成るにつきては、其後 当村の人民耕地へ働きに通行するには大廻り致さなければ耕地へ行くこと相成らざるゆえ、誠に人民■惑致しおり候・・・
 
線路建設のため野通い道、作業道のことだろうか、それを4か所「潰道」された。
そのため耕地へ「働きに通行するに大廻り」せざるを得なかった。
 
 「先般当村人民より戸長殿へ願い立て置き候ところ、該戸長辞職致され候につきそのままに相成るゆえ」(10年も)大廻りを余儀なくされています。

今般右村の内 字樋ノ屋と唱うる場所にて1箇所、字国木原と唱うる場所にて1箇所、都合2ケ所鉄道線路筋にて踏み越し成り下されたく奉わり願い候

 樋ノ屋はどこかわわからない。まさか樋ノ尻ではあるまいと思うが国木原暗渠という暗渠が樋ノ尻暗渠から北へ160mのところにあったようだ。

しかし国木原暗渠というのが今、あるかどうかわからない。
しかし、当時の鉄道構造物位置一覧からその位置がわかる。

s-島本暗渠位置.jpg
(位置は樋ノ尻暗渠を起点にしてある)

何分耕地多分これ有りにつき用水筋溝筋に御座候、右耕地は近村にこれ無く、よく乾く地所にして、数度用水溝を往復致さずば稲作生育出来難きにより・・・

 文中の「多分」は多数の意味。多くの耕地があり「用水溝筋」「用水溝」を往復する必要がある。
中には線路横断をする者もいて注意はしてはいる。

しかし、農業振興のため、農作業の不便を改善するため
何卒前願い願い立の如く字樋ノ屋、同 国木原と2箇所の場所ヘ踏み越し成り下され候わば、不都合」が生じないので「貴殿御堅察なさり下されたく」踏越しの許可をお願いしたい。

鉄道による交通の利便もあったが田畑分断、用水路分断などの弊害もあったのも事実のようだ。


百山踏切の横にある暗渠(大溝筋暗渠)
s-IMG_5171.jpg

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樋ノ尻暗渠を調べに行く途中見つけた。今度は国木原暗渠探しに行こう。
posted by たけちゃん at 04:53| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2020年08月20日

樋ノ尻暗渠(東海道本線 島本駅)

友人のアルファーから島本町のレンガ暗渠の情報をもらっていた。
「樋ノ尻暗渠」という東海道本線建設時(明治7年、1874年)のレンガ構造物だ。

暑いので、日を伸ばしていたが、昨日、行ってきた。
普段なら、島本駅ならチャリで行くのだが、自転車を折り畳んで行くことにした。

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島本駅から京都より300mほど。

map819.jpg

昔の地図を見る。明治42年測図のものだ。

map150.jpg

田んぼばかりの中を線路が通る。
「楠公訣児処」とあるのは現在図では「桜井駅跡」で今の島本駅に隣接している。
目的地は東海道本線の「本」の字のあたり。

いまでは住宅地の中でそれが150年近い前の「近代化遺産」だと認識する者もいない。

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スパン3フィートの2連のレンガアーチの暗渠だ。
切石2段積み。隅石は「江戸切」と呼ばれる面取り加工がされている。
坑門部分の採寸と写真撮影をする。

水は澄んでいたので暗渠の中に潜り込む。
レンガ坑門から9.37mがレンガアーチ
そこから四角断面のコンクリート製暗渠となっている。(長さ7.93m)

右側暗渠アーチ内
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左側暗渠アーチ内
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反対側コンクリート坑門
DSC_0742.jpg

測定した寸法を図化した。

概要寸法.jpg

作業は簡単に終了。
いくら、水は澄んでいるとはいえ何となく気持ちが悪い。
島本駅前の「桜井駅跡」の公園の水道で手足を洗う。

島本駅
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桜井駅跡の公園
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帰りは、そのままチャリで帰る
暑いけど・・



posted by たけちゃん at 15:30| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2020年08月18日

トレンメル

 斜めアーチ、わかりやすく言うなら「ねじりまんぼ」の先生であるチャールズ・ニコルソンの本を訳し始めている。
発行されたのは1847年。今から160年ほど前。日本では江戸時代末期。20年後の1867年に大政奉還。ヨーロッパでは1848年にマルクス、エンゲルスの「共産党宣言」。フランスの2月革命。
そういう動乱期。産業革命と鉄道事業の進展のなかで描かれた。
”THE GUIDE TO RAILWAY MASONRY CONTAINING A COMPLETE TREATISE ON THE OBLIQUE ARCH”
「鉄道のねじりまんぼで使うアーチ石に関する研究」とでも呼ぶものなのか。

 いきなり、斜めアーチ(ねじりまんぼ)に進めるのでなく、「幾何学」から始まる。
2辺狭角で三角形が書けるとか、欠円はこのように描くとか初歩の初歩から始まる。

 なかなかカルチャーショックを受ける。
例えば、楕円。
楕円を描くときどうします?
楕円の方程式にxに関してyの値を求めて作図する?
小生もかってはそうしていた。
CADで円に「扁平率」というものにチェックをいれその率をインプットすると楕円が描ける。
最近のことだ。これを知ったのは。

160年前のイギリスの石工職人はどうしていたか。
円を組み合わせて、楕円を描く手法が紹介されている。
パソコンで描いた楕円と重ねあわせてみた。ほぼ一致する。驚いた。

トレンメルというコンパスを紹介している。
楕円コンパスという訳が当てられている。
画像検索すると、本書とかなり違うものばかりが紹介される。
ニコルソンの図は次のようなものだ。

s-fig5cad.jpg

原理的な動きをする簡単なトレンメルを作った。
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posted by たけちゃん at 08:32| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2020年08月02日

「斜架拱」現代語訳

このブログでPDF形式の文書をダウンロードさせるのは初めてのことかもしれない。
伊藤鏗太郎「斜架拱」の現代語訳
1899年(明治32年)の著作である。100年以上前の著作で著作権には触れないだろう。
あくまで原書を読みやすくするという意図をもってアップロードする。
下の文字をクリックすればダウンロードできるはずだ。
容量は3M  スマホでのダウンロードは避けた方が良いのではないか

現代語訳斜架拱.pdf
posted by たけちゃん at 03:08| Comment(2) | 日記 | 更新情報をチェックする