2018年12月28日

中奥里道架道拱橋 模型

3次元CADで描いた奥中里道架道拱橋。
複線化する前のレンガ造り部のアーチ橋だ。

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段ボールと展開図で模型を作った。縮尺1/50

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2018年12月24日

中奥里道架道拱橋 立体図

SketchUpで中奥里道架道拱橋を作図した。

このアーチ橋は今は道路として活用されているがかっては水路でもあった。それをふたをして通行できるようにしている。
レンガ組みされた面壁側から5m48cmで接続部がある。
この長さで1891(明治24)年に単線で運用された。
その建設手順を想像した。

まず、アーチを作る。橋台幅は8フィート(2430mm)アーチ・コルベルトの雛形図と同じ寸法とした。

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backing(憑台)、面壁を作る

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ここで、憑台上部の勾配は1:3とした。

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築堤が埋立てられ線路が付けられる

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1910(明治43)年複線化によりまんぼも延長された。
ただし、こちらは側壁、面壁には石積みが用いられた。

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この二つのまんぼのサイズを測った。その諸元を下表にまとめた。

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2018年12月21日

中奥里道架道拱橋(山陽本線 三石)

 山陽本線の三石のレンガアーチは多彩だ。
資料がそのままになっていたのを整理し始めた。

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平面図
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A面は面壁はレンガ積であるが黒色、茶色のレンガがモザイク模様を描いている。
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レンガアーチは3巻。330mm

B面は石積みの面壁だ。アーチはレンガ4層、4巻 430mm
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接続部
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A側の天井
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側壁もレンガ工
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他方B面側
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このまんぼの橋台部はどうなっているのか想像する。
明治期のレンガアーチの橋台形状を検討するための製図法を知った。
それをこのまんぼに当てはめて作図した。
破線が検討用の橋台形状だ。

それに対して明治後期に鉄道省で雛形とされたアーチコルベルトの図を実線で描いた。
その当時、山陽本線は民営鉄道でもあり、雛形図に拘泥するものではないだろう。

しかしながら、破線部分と実線部分がほぼ一致したのには驚いた
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2018年12月16日

資料整理

 今まで訪ね歩いた鉄道遺産、自流で言うなら「まんぼ類」のノートの整理をせねばとずっと思っていた。
岡山の三石の煉瓦アーチの探訪ではブログで紹介もしているが、採寸した情報は未整理のままのものもある。

 そんなものを整理し始めた。

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建設当初は3巻のアーチであったものが複線化により、レンガアーチを増結する必要があった。
すると、アーチは4巻にされた。壁面も、当初部はレンガ壁が、増結部は石積みにされている。

 きっと、憑台(橋台)も当初部分はレンガ製であろうが、増結部の橋台下部は石積み工なんだろうと想像する。

*****
 図書館で借りた「田辺聖子珠玉短編集4」を読み終わる。
昭和48年から平成元年までの小編が8本載っていた。読んでいると何か「はるか昔」という実感が湧いてきた。

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「社長ぐらいの年やったら、これ、もうどうでもようなるねんけどな」
という。社長は六十五の爺さんで、これと一緒にされてはかなわない。(「壺坂」昭和48年)

 昭和48年では65歳は「爺さん」なんだ。今より爺さんぽい爺さんであろうが。
この一節を読んだとき、そんな歳になったのかと思うと感慨深いものがある。

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2018年12月11日

面壁かさ上げ(その2)

 3時過ぎに目が覚める。
医師の指導で朝晩に血圧を測り記録している。
降圧剤も3週間ほど前から強いものになった。
そのせいか、今朝の血圧は正常範囲に収まっている。
 
日の出は6時50分。日の出前の20分前ぐらいから少し明るくなるので散歩に出る。
公園を歩く。
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**** レンガアーチの面壁の話に戻る****
SketchUpで概略を作図した。

初期のレンガアーチの図
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線路の増設や線路面のレベルを上げるなどにより面壁をかさ上げする
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灰色部がコンクリートなどでかさ上げされた部分だ。

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側面の白い部分は初期のもの。
基面のレベルを上げるので、赤い部分が盛土された。
線路が増設されたので、築堤幅も広がる。(ピンクの部分)
のり面にも土が盛られる。
盛られた土が用地境界から流出しないように擁壁を設けている。(のり尻部)
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2018年12月09日

面壁かさ上げ

 近くにあるレンガアーチ(川田橋梁)をくぐったとき、ふと感じた。
この坑門の壁・・・ジョイントしてあるのでは?

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レンガの面壁であるが上の方のレンガはやや色が薄い。
その上はコンクリートで出来上がっている。

右側のウイングの下部
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左ウイング下部
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A-B,C-Dで切れている。レンガの形状や石積み工の切り口などから見て、ある時期レンガを追加的に積み上げたようだ。
その後、今度はコンクリートでかさ上げをした。

軌道面を上げたり拡幅したりする必要があったのだろう。それにつれて築堤ののり面に土を盛ることもあった。そのために面壁も大きくして、のり面の安定を図ったのだろう。

そう言えばこのアーチ橋梁にはのり面下部に擁壁をして用地内にのり尻が納まるようにしてある。

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違うまんぼを見に行った。丁度、のり面の工事をしているところだった。
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他のまんぼの面壁はどうなっていたのだろうか

コンクリートでかさ上げされているもの
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かさ上げせずに軌道面を文字通り拡幅するべくコンクリート製の桁を渡してあるもの(とうかい148)
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コンクリート板を建てて築堤のり面の崩落を防止しているもの(とうかい147)
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さまざまである。


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2018年12月07日

レンガアーチ 標準図と実際

 九鬼図で示されたアーチコルベルト(暗渠)の標準図と東海道本線に残るレンガアーチを比べて見た。

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■遠田橋梁 S=3フィート(0.91m) 実測アーチ厚230mm 2巻
雛形図では229mm なんとピタリと合うことだ

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■円明寺橋梁(ねじりまんぼ) S=4フィート(1.22m) 実測アーチ厚 2巻の230mm 
雛形図では343mm  雛形よりも薄い

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■とうかい147 S=6フィート(1.83m) 実測したアーチはレンガ3巻 343mm
雛形図では457m 

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■とうかい140(奥田端橋梁)ねじりまんぼだ。S=8フィート(2.45m) アーチは雛形図では457mmであるが実際はレンガを3層に巻きアーチ厚は370mm。ここでも雛形よりも薄い

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表にもどる。
S=8フィートの兵田川橋梁、市三宅田川橋梁、小田原川橋梁。いずれも「ねじりまんぼ」だ。
アーチはレンガ4層で雛形図の457mmの厚さを踏襲している。

兵田川、市三宅田川は滋賀県。小田原川橋梁は岐阜県。
建設時期は明治半ば以降のものだ。

アーチ厚が九鬼図のものより薄いとしたものは明治8年から9年。大阪〜京都間の初期建設時のものだ。

こんな、地域性や時代さによりレンガアーチの形状が変化するとは面白いことだ。


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2018年12月05日

円明寺架道橋

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内部
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ウイング
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隅石
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レンガ ねじりまんぼ
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このレンガの傾きは14°前後
床部もレンガが敷かれているがここも斜めにしている。ユニークだ。
上も下も斜め積みというの他にあっただろうか?!
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九鬼図をCADで作図した

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円明寺架道橋

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円明寺架道橋は後世、修繕して面壁、ウイングをコンクリートでかさ上げしている。
しかし、当時の姿を残す暗渠の空間寸法を見てほしい。
九鬼図と円明寺架道橋はほぼ一致している。

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H2寸法で幾分 円明寺架道橋が大きいが、河床勾配をとるため幾分下流側で深くしたのかもしれない。

他方、アーチの厚さが九鬼図では343mmに対し円明寺架道橋は2巻230mmと大きく違う。

九鬼図でスパン3フィート(914mm)でアーチ厚229mm。3フィート暗渠のアーチ厚だ。

九鬼の「アーチコルベルト雛形図」とはいうものの力学の要素として重要なアーチ厚が違うのには正直驚いた。

雛形、参考図であり、絶対的な仕様書ではないといえばそれまでであるが。

九鬼のアーチコルベルト雛形図と東海道本線のこの界隈の暗渠をざっと調べてみた。
スパン8フィート(2438mm)のアーチ厚は457mmとしているが(レンガ4巻)、現地では350mm(3巻)のものが多く見るれるようだ。

 また、調べてみよう。
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2018年12月03日

アーチコルベルト雛形図

土木学会で開示している九鬼文書に明治初期の暗渠(アーチコルベルト)の標準図が掲載されている。
ここでは九鬼図と言っておく。
また、内田録雄の「鉄道工事設計参考図面」にも同様の図面が掲載されている。これを内田図と言うことにする。
九鬼図には東海道本線の建設のための測量地図や尻戸三避溢橋の構造図が載っていることから、明治8年前と独断した。
他方、内田文書は明治30年に発刊された図書であるからかなり時間差はある。

各サイズのアーチコルベルトの各部寸法を両者比較した。
おおむね合致する。
この間、訪れた「円明寺架道橋」はまさに4フィートのアーチコルベルトである。明治8年に建設された。
ここでは4フィートの九鬼、内田標準図寸法の相違は次の通り。

A寸法 九鬼=5フィート6インチ(1676mm)  内田=5フィート(1524mm)
F寸法 九鬼=4.33インチ=(110mm)  内田=4.5インチ(114mm)
N寸法 九鬼=2フィート(610mm)   内田=1フィート6インチ(457mm)

若干違う程度だ。

九鬼図(4フィートのアーチコルベルト)
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その諸元をフィート、インチ系からmm単位に換算した。
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時代が下った内田図はウイングなども記載されている。
しかし、細部寸法で記入されていないところもある。
あくまで標準ということだからかもしれない。
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これらの図面と円明寺架道橋を比べてみよう。
ここでは、同時代と思える九鬼図で比べることにする。

そこで、再度、行ってみた。
そして計測した。
それは、次回記述。
posted by たけちゃん at 10:22| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする