2015年01月25日

「24の瞳」

 高峰秀子はわが父母より数年前に生まれている。一世代前の人。名前ぐらいは知っている。
「24の瞳」という映画もテレビで見たことはある。

工事のため37,8の頃は愛媛県の内子にいた。
そのころ時間があればスケッチをした。スケッチブックには‘92(H4)とある。

内子の屋根のある橋。田丸橋。
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「そう上手いこと いきまへんなあ」が大阪弁なら
「そうは五十崎(いかざき)内子の手前」と言って舌をペロッと出して言うのは地元だけのダジャレ。
内子は五十崎(いかざき)の隣村であった。
ちなみに「嫁にするなら南予の娘」は司馬遼太郎の名言。
その通り。明るく世話好きな人が多かった。

「24の瞳」は同じ四国といえども高松にある。愛媛松山が「坊ちゃん」で有名であり、明治の古都。
それに対して高松は大阪、岡山という大都市の出入り口。ちょっと近代的な都市。
愛媛の工事が終わり、ずるずると高松どまり。小さな営業所の責任者なったから。

昨今、香川県は「うどん県」と自称しているが、よくうどんを食べた。
少しモダンな建物がある高松からフェリーで1時間で小豆島に行ける。

「24の瞳」の小豆島でも測量施設の建設をしたことがある。
しかし、そのころこの作品に興味はなかった。
けさ、たまたまラジオを聴いていたら「24の瞳」の話があった。

ネットでダウンロード(Amazonnインスタント・ビデオ)
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朝から年甲斐もなく泣けてくる。
わが両親よりいくらか年上の子供らが主人公。
静かなる反戦映画とも言われるが、なんと苦しい時代を生きたのだろうかと思う。

「24の瞳」は別れ、さよならの場面が多いこと。子供もおなご先生も涙ぐむ場面が多い。
彼らの瞳がなんどもなんども涙で光る。
希望の瞳は涙の瞳と裏腹であった。

童謡を大事にしたと監督の木下恵介。
「カラスなぜなくの」がテーマソングのように歌われる。
子供らの愛唱歌であったが、かれらの姿とも重なりあったカラスの歌だ。

この間から読んでいる高峰秀子の「わたしの渡世日記(下)」読了
本を読み映画を見て、高峰秀子という人を見直した。





posted by たけちゃん at 09:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする