2010年05月30日

ねじりまんぼ製作

 ねじりまんぼに手を加えているうちに良い時間にもなり、ブログ更新の時間がなくなるとか、「いかにも稚拙だなあ」とため息。そんなこともあり10日余りブログ更新がおざなりになった。

 前回、ねじりまんぼの作業床に展開図を書いたところまでであった。

れんが積みスタート
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1巻目完了
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2巻目準備
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2巻目完了
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3巻目完了
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スパンドレル
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作業床(セントル)撤去
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2010年05月20日

砂箱

■唄う裸のカーペンター
木遣り唄で力をつけながら木を運搬する職人衆を「大工たちはふんどし一丁であった」とモースが記していた。

彼が写真で残した資料「百年前の日本」に「木挽き 1880年」の記録写真が掲載されていた。

 一人は鉢巻にふんどし姿で材木を切っているところだ。

「木挽き職は重労働で知られ「木挽きの一升飯」の言葉も残っている。ねじり鉢巻にふんどし一丁が彼らの正装であった」と解説がついている。大工ではない。

モースの唄うカーペンターは、
大工というより専門的な運び手なのだろう。しかし、そんな恰好で大木を引きずる作業は、綱でこすれ、余計危ないような気がするのだが。

何かの祭りではないのだろうか?祭り衣装としての「ふんどし姿」ではないのかと今も疑問に思っている。

 また、「百年前の日本」の解説では、富国強兵、殖産産業となるものへの機械化は急速に進められたが、「そうでない日常の衣食住にまつわるような技術は、ほとんどが明治期を通して江戸のまま終始した。いや、江戸時代より高度に発達した手仕事の領域すらある。例えば、大工の技術は、明治時代が頂点をなしたと今日では考えられている。」江戸期は贅沢禁止令により職人の技が十分発揮されなかったものが明治になり、贅を尽くした邸宅を建てることもでき、大工、左官、表具、指物といった多くの手仕事分野で発展したと言う。

そんな、手作業と機械化の混在の例を「ねじりまんぼ建設工事」で見た。

■セントルのリフトダウン
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左はねじりまんぼ建設用のセントル(半円筒作業台)に上板を張ったところ。

右は煉瓦を積んでいくための展開図。
この展開図に基づき上板に墨入れをする。

実際は、正確な丁張りを作り墨を引くのだが、模型の場合は簡単に展開図を貼り付けるだけだわーい(嬉しい顔)

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煉瓦を付け始めたときはたと感じた。
煉瓦組みが終わったらこの構台をどう壊すか?

左右の壁に密着させるため高さ方向でクサビをセントルと建地の丸太の間に入れるのは想像できる。

この構台の上板を引き抜くためにもクサビを緩め、セントルを下げる必要がある。

上板も構台に釘で打ちつけては抜けなくなる。
あえて打ち付けるならば下から上に打ち、撤去時に上板の下にもぐりこんで抜く。
最後に、抜けるようにしておく必要がある。

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古書に属する「土木施工法」(武居高四郎著)に「砂箱」が紹介されていた。
「砂箱は厚さ2〜4mmの鋼板円筒形状で、底板近くに螺旋の栓を有する小口を設け、内部の砂を排出する。・・・・砂が湿らないように、砂の表面にアスファルト紙を敷き、木栓をつけ、木栓と砂箱の間隙には防水のためアスファルトを詰める。」

リフトダウンするだけの工具だが、果たしてどれだけ使われたのだろうか?クサビで十分と思うのだが。

ジャッキのように上下に調整がきくのであればよいが、下がるだけでは始末が悪い。
間違って、栓を抜いたら、クサビを打ち込んで調整するのだろうから、職人さんは使っただろうか?!

クサビとかなづちという手仕事で十分構台を上げ下げすることができる。

「砂箱」という一見恰好良く見える工具ではあるが、アイデアは面白いが実用性はクサビを打つという手作業に劣るように思える。
posted by たけちゃん at 23:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2010年05月18日

木遣り唄


(伊勢神宮;木遣り唄)

モースの"Day by day"をぱらぱらめくる中、こんなスケッチがあった。

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神社のそばを通りかかったモース一行は何か「chant」のような「コーラス」が聞こえた。

宗教的行事かなと思いつつ覗いてみると工事中の建物の柱となる大木を立てていた。その作業をしかと見ようと歩を進めると、ヌードの、日に焼けた大工達が大木を引っ張って建柱するのに「コーラス」している。

目を転じれば荷車を2台合わせたようなもの(ダブル・トラック)で引く者、後ろで梃子棒でこじ上げる者。その衆も力強く、歌っている。ほんの数インチの進み具合でしかないが皆がコーラスして歌いながら運搬している。

そんな光景を記している。

ヌードの大工というがスケッチを見る限りふんどし姿だ。
ふんどし姿はヌードの域に入るようだ。

これは「木遣り唄」のたぐいではないだろうか。
木を引く時の労働歌。
どんな調子だか、どんな光景なのかネットで「木遣り唄」の動画を検索した。

単調な調べに、引く時の掛け声。
コーラスといえばコーラス。

モースのこの文章のタイトルは SINGING WORKMAN

英語でchantという意味は辞書的には「賛美歌とか、ひきつづいて詠じられるもの」という意味合いだが、実際どういうものか自分でもわからない。言葉で語りつくせない単語のように思う。

奇しくも、モースも「この不思議な音楽を自分達の音楽的表記では表現できないものだ」と断じている。

彼は文章とスケッチで"Day by day"を書いているが、ときおり、スケッチの譜面も出ていた。

わが先輩Day by day氏は 文章+絵+音で日本の様子を記録したかったようだ。

われわれのブログやホームページの作り方と同じだ。やはり先輩である。
今回、先輩に負けず、音と動画を挿入。わーい(嬉しい顔)


参考



posted by たけちゃん at 23:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2010年05月16日

The Kite Runner

"The Kite Runner"(著:Khaled Hosseini) 読了。


The Kite Runner

The Kite Runner

  • 作者: Khaled Hosseini
  • 出版社/メーカー: Riverhead Trade
  • 発売日: 2004/04/27
  • メディア: ペーパーバック





亡命アフガニスタン人である筆者の幼いころの思い出、ソ連のアフガン侵攻によりアメリカへ避難。裕福であった父親は慣れないアメリカでガソリンスタンドの店員として働き、筆者も苦学して大学を卒業。作家となった。ある日、パキスタンにいる父親の友人が死期を悟り是非、会いたい、話したいことがあるという。
父親は既にがんで亡くなり、亡くなる直前に同じような避難民であるSorayaと結婚もし、順風満帆であった。

子供の頃、召使いAliの子、Hassanとは大の仲良しではあったが、召使の子と「坊ちゃま」という関係もあった。
トラウマとも言うべきことがあり、心の古傷は25年過ぎた今も残る。
それを、いまさらとも今こそとも思いつつ子供時代の回想から物語は始まる。

タリバンの暴虐。

少年達がサッカーで興じるグランドは戦火で穴ぼこだらけであるが、サッカーが済んだ頃タリバンが夫婦を連れ出し、穴の中に放り込み、石つぶてを投げつけ撲殺してしまう。公開処刑である。

また、言われ無き罪状でHassanは奥さんともどもタリバンに銃殺されたという・・・

そんな、危険を背負いながら人としてなんとかしたいという思い。
「決闘」しなければ。鉄のナックルでぼこぼこにされながら、笑いだす。なんで、こんなところにいるんだ!

暴力と破壊で荒廃した社会ではあるが、昔の豊穣なアフガニスタンを展望しながらも子供達と夢をはせる。

イスラムの教えを規範とした厳格な道徳、習慣。民族差別もある。女性差別もある。

閉鎖的と思われるところもあるが、みんなでバーベキューパーティだ、凧揚げ大会だとアフガン社会の生活もかいま見れる。

人としてどう生きるかという意味でも良い作品だった。

■Japan Day by day (著;Morse)
大森貝塚を発見したモースの作品だ。明治の初年に日本にいた彼は興味しんしんで日本の風俗、習慣をレポートし、スケッチしている。

このブログと同名でありいわば先達である。

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配達された本は辞書かと思うほど分厚い。
女房殿が開封し、8千幾らの領収書を見たのか、「八千円ね〜」

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ぺらぺらめくる。
"The Kite Runner"(凧上げする子)連なりで、凧上げのことを書いたところがあった。

凧屋で凧作りする夫婦の店先でせっせとスケッチするモース氏。年寄りの主人は良い笑顔を作り、職人たちも感じがいい。
それでもひと時も手を緩めない。賃金は安いだろうに、それでもきれいなもんやとか思いながら、凧の作り方から凧揚げの様子を描く。

It is curious sight to see a group of boys flying kites,nearly every one having a baby tied to his back.

凧揚げする少年らの多くが、背中に赤ちゃんを背負っていることに感銘を受けている。

私の親父なども7人兄弟の真ん中であったから妹や弟を背負って遊んでいたと聞いたのを思い出した。昭和の一桁時代のことではあるが。

明治、大正、昭和初期。

今のような核家族。この百年という時間のなかで少子化こそ期間的にはマイナーな風俗であることに気づく。

posted by たけちゃん at 01:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2010年05月14日

ねじりまんぼの藤田組 黒鍬者募集

■セントル
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たまたま実家で学生時代の教科書「改訂 土木施工法」(武居高四郎)を見つけた。私が学生時代のときでさえ古い教科書であった。

「足場(Scaffold)は従業員の活動を敏活ならしめ、かつ材料運搬機の運行を容易ならしめるため、なるべく堅牢に建設せねばならない」(P303)

 これは「第12章 アーチ橋工」の一節である。
その古さゆえ、「セントル」「れんが積み」など土木工学的書籍として初めてと言っていいものになった。

いかに、大学時代この本というか、この授業をないがしろにしてきたということか。

同書により「セントルは径間3m以下の場合、60cm〜90cmごとに支柱上に設置」とあったので、過日のものに1枚セントルを追加した。

ついでに、職人さん。「黒鍬の音二郎さん」をつけた。

■藤田伝三郎、藤田組
長浜に行き琵琶湖運航の汽船に太湖丸という蒸気船が運航し長浜-大津間の交通の便となっていたのを知った。
この太湖丸を持つ「太湖汽船」のオーナーが藤田伝三郎であり、彼が明治の大企業家であることを知った。

「藤田伝三郎の雄渾なる生涯」(砂川幸雄)

藤田伝三郎の雄渾なる生涯

藤田伝三郎の雄渾なる生涯

  • 作者: 砂川 幸雄
  • 出版社/メーカー: 草思社
  • 発売日: 1999/05
  • メディア: 単行本




明治2年に日本で始めて革靴の製造に成功し軍隊に納入。それ以外に種々の用品を納入。大稼ぎして、橋、鉄道、工場を起こし、鉱山業にも進出。
その資本力により「南海電鉄、関西電力、毎日新聞社の創立、東洋紡に三和銀行(東京三菱UFJ)などなど現在の隆々たる会社創立に参画」

なによりも「大阪-京都間の鉄道」建設を一括して請け負っている。
琵琶湖疏水も請け負っている。

ねじりまんぼはこの藤田組の手になるのか!

■黒鍬組
しかし、彼自信が技術者というか先の例でいう通り、投資家のようなもので「政商」とも言われる。

 「関西系土木会社だからねじりまんぼが関西圏で多い」のではないかという仮説も前掲の本を読み進めるうちに、「藤田組=ねじりまんぼ」という定式はどうかなと思い始めていた。

 「伝三郎の募集でやってきたのは大部分が黒鍬者と証する熟練した土工たちである。
彼らは主に道路や川の不振、新田の開発を行うのを渡世としていた者たちで、親方をマゴ、子分を権造(ゴンドウ)と称し、全国いたるところに散在していたが、尾張の知多半島はマゴの本場でもっとも優秀だった」


そのため職人さんも「黒鍬の音二郎さん」とした
実際の技術の担い手として。
posted by たけちゃん at 22:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2010年05月10日

いろいろあって

 土曜日、お袋の具合が悪くなり入院。

ブログを更新するのが遠のいた。

それだけではなく、大津周辺情報を調べていくと面白い連想が次々と浮かびまとめ切れないのが一つと、連想は連想。想像の世界であり、もう少し調べたいところもある。

ねじりまんぼ建設計画は紆余曲折しながらちょっとづつ進行中。

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正アーチ。
両側は煉瓦の壁。太い丸太の足部が仮設構台。半円部分を「セントル」。その上に足場材を並べ、煉瓦を積んでいく。
ねじりまんぼの場合は斜めに積んでいくことになる。

上部の半円筒形の部分がコンクリート打設で言えば型枠に相当する。
したがって、この型枠になる半円筒形は高さ、水平度、道路との角度など正確に据付けなくてはならない。

やり方をこの周りに作り、高さ調整のためのクサビを打ち込んだり、とりわけ、煉瓦を斜めに積んでいくのだからその煉瓦の「コース」を正確に図面からこの型枠ドームに反映ねばならない。

そうこう考えると、水準器はあったのだろうか?釘はあったのだろうか?かすがいはどうだったんだろうか?

洋釘を輸入していたのだろうか?多数のアーチ構造物を建設するのにレベルやトランシットをそんなに輸入したのだろうか?江戸時代の従来工法で適合できたのだろうか?

そんな、身近な工具、材料すらどうなっているものかと興味を抱かせる。

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モールを使って煉瓦作成中・・・
Kite Runnner 残り100ページ。


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ねじりまんぼの「セントル」。線路と斜めに交差するので半円でなく楕円形となる。

posted by たけちゃん at 23:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2010年05月06日

Imagine

imagine イマジン;想像する、心に描く、推測する、仮定する
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海洋堂フィギュア・ミュージアム限定のドン・キホーテのフィギュアと別の店で買った”Imagine”と彫った石に金色の豚

海洋堂の社長は自ら無茶なことするドンキホーテという自戒をこめて作成させたという。

バックに煉瓦の壁をおいた。(ねじりまんぼ建設計画進行中)

長浜の町を歩けばすぐ目に留まったのがここだ。
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鯉のぼりを玄関に置くのも一興。「土田金物店」とあるが横のほうに「まちづくり役場」の看板が・・
長浜活性化のための活動をしているところのようだ。

本当、20数年前、長浜に何度も来ることがあったが、こんな活気のある町ではなかった。城もなければ黒壁の館もなかった。

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うれしかったのは、昔ながらの模型屋さんがあったこと。
店先に休憩できる毛氈を敷いた腰掛まである。
店中、模型の箱が天井まで積んである。
ここで、バルサを購入。

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「子供の日」。和菓子屋は道に面したウインドウに武者人形を置き対称的に「かしわ餅」の旗。

どこにでもありそうなことなんだけども、どこか一ひねりがあって、町ぐるみで何かしてやろうという息吹を感じる。

Imagine:想像が「創造」となっている。

腰を抜かしそうなのは、

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なんの変哲もない店のように思うが店名にポリシーが発散している。

これもImagineの一つ
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2010年05月05日

長浜 海洋堂フィギュアミュージアム

JR新快速で朝早く長浜に行った。近江八幡辺りでは田植えが始り水田地帯を車窓から眺める。

長浜には
@日本で一番古い駅舎が保存されている。
茨木のねじりまんぼ建設中にイギリス人技術者は敦賀-長浜間の測量に入っている。忙しいことで。新橋-横浜、神戸-大阪-京都についで敦賀-長浜。ちょっと意外な所という気がしないでもなかった。

Aフィギュア製作の海洋堂のフィギュアミュージアムがある。
黒壁ガラス館は時間があれば見る。けれど鉄筋コンクリート製長浜城は見る。

そんなつもりで行って帰ってみたら写真は100枚を超え、フィギュアやらかばんやらeteで8品のお持ち帰り。(かばんはあれこれ入りきらなくなったためでもあるが・・・)

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【長浜鉄道スクエア】

日本海敦賀と長浜を鉄路で結び、長浜から琵琶湖を運航して京都方面へという海-陸-湖を結ぶネットワークが意図されたとのこと。

「足を運ぶもんや」と思いつつ、ほかにも色々・・・それは後日、機会があれば。

それよりか・・・


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【海洋堂フィギュアミュージアム】 ケンシロウと大魔神がお出迎え

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こういうのがいっぱいいて、

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原寸大のトリケラトプスがいて

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ウルトラマンにバルタン星人、カネゴンだ、ゴジラにモスラにガメラと
「昭和の世界」にどぼーと入り込んでしまい、気づけば100枚を越す写真となっていた。

海洋堂の前の喫茶店で休憩。ガラス越に来場者を見るとは無く見る。

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写真撮影をする人。無視する人。
大魔人の剣を抜こうとする人。
(それが抜けたら、石に刺さった剣を抜いたアーサー王や。コーヒーこぼしそうになった)

二人の子供を連れたパパが小さい子を抱き上げて大魔神にコンタクト。

子供が目を覆う。

なるほど、

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迫力あるわい
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2010年05月03日

植物の進化と恐竜展 

鶴見緑地の花博会場で開催している「植物の進化と恐竜展」を見に行く。

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Expo90という刻印。20年にもなるのか・・・

上海万博が先だって開催。

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こちらは、なんとなくのんびりムード。
イヌを連れてる人。自転車をこぐ幼児。

それでも、人出があるものだ。

それと、きれいな花や花壇から花の香り。
パフューム。普通の観光地にはない稀少さがある。

木陰で昼食をする家族連れも沢山いる。

目的の「植物の進化と恐竜展」

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タイトルの「植物の進化と恐竜」の関係がどこに示されているのかというと何枚かのパネルにごちゃごちゃと植物年代史風に貼ってあるだけで、タイトル倒れ。

こちらもそう関心があるわけではない。
ブロキオサウルスが食べていた植物は高さが5mから15mくらいの高木。椰子の木かなにかそんな感じでいるし、そんな感じの展示なのか

荒木一成さんの恐竜模型が展示されている。
これを見に来た。
手の届くところに実物がある。

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何枚も写真に収める。

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これが粘土でできているとは。
迫力がありますね。

posted by たけちゃん at 16:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2010年05月02日

ブロキオサウルス完成

ラジオの各地の渋滞情報を聞きながら、ブロキオサウルスの仕上げ。
色を塗る。

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色を混ぜていくうちに青っぽかった体色も緑っぽく。

顔もおしろい程度に色を塗る。

初めての大型模型

そのくせ顔が小さい。ヒトの場合、6頭身とか7頭身。ブロ君は20数頭身。

ユニークな顔、小さすぎて難しかった。

まずは堪能した。
posted by たけちゃん at 15:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2010年05月01日

レンタサイクルで

昨日は昨日で茨木市の中心部をレンタサイクルで走り回り、「百年前の茨木」を探すことにした。

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 茨木神社の藤がきれかった。

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ねじりまんぼにしないで道や水路の方向を変えて線路と直交するようにしたので、普通のアーチになった。
そのため、「ねじりまんぼ」執着者からはねられたけど、これも130年前の立派な近代土木遺産。
正等に評価しなきゃ、と思う。

昨日の夜は、NHKの熱中スタジアム「恐竜ナイト」を見た。
恐竜熱中人の集合で引き込まれてしまった。
皆さん達人というかマニアというか。

8歳で200種類の恐竜が言えるとか書けるとは。
精巧な本彫恐竜骨格作りのダブリンさんのブログはよく読んでいるが、気の入れ方が違う。
おれはまだまだその域に達せずという感じ。

興奮したのか、4時前に目が醒めてしまい、あれこれしながら明け方また寝て、8時過ぎにはブロキオサウルスの修正。

頭が重い感じがしてきて仮眠。

そして昼から芥川から今城塚古墳を抜けて総持寺に戻り、また富田へとサイクリング。

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鯉のぼりを見たかったのだ。

今城塚古墳は整備工事中で前方後円墳をぐるりと工事用バリケードで覆われていた。「流れ橋」に続きまたも工事中とは・・・

帰ってきてまた仮眠わーい(嬉しい顔)

足張ってる〜






posted by たけちゃん at 23:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする