東海道線の下をくぐる煉瓦作りのアーチであるが「いつ頃できたのか」と思い、調べていた。
*「鉄道唱歌」で「汽笛一声、新橋を・・」の新橋は1872(明治5)年に、初めて横浜まで鉄道が建設された。
* 2年後の1874年、大阪-神戸間が開通。
* 1877年に大阪-京都間が開通。
ということは、アーチ建設、路床整備、レール敷設という工程を想定すると1877年より1,2年前ということになろうか。
* 約130年前ということになる。
ライフラインでそう簡単に作りかえるわけにもいかないが130年も使用している構造物がこんな身近にあるのだ。

しげしげ眺め、携帯カメラで写真など撮っているものだから、近くのお豆腐屋さんの頃は80歳くらいのお婆さんが声をかけてくれた。
「これは130年なるのよ。昔はここをボンネットバスが通っていたの。池田に行ってたの」
いまでも、乗用車がいっぱいいっぱいの幅員だ。
誇らしげに説明してくれる。
聞けば以前はパン屋、今は豆腐屋(「伏見屋」さん)。
バームクーヘンを買ったら、おまけに豆腐がついてきた。

そのアーチには「とうかい154」と言う番号札が付けられていた。
調べれば、このアーチは「ねじりまんぼ」と呼ばれる種類のアーチだとわかった。
「ねじりまんぼ、茨木」で検索すれば大概のことがわかる。
天井の煉瓦の積み方がねじれているという意味の「ねじれ」であり
man(マン)=人
「ぼ」は「ほ」でどうやら"hole"=穴という趣旨の説明もあった。
マンホールのことを「人孔(じんこう)」と今でも業界の言っていた記憶がある。
煉瓦は鉄道線路に対して直角方向に並べる、という設計があり、
線路とその下を通過するアーチが斜め横断するときはその分斜めに積み上げ、線路とは直角になるよう積んでいるのだろうか。
そうするとねじれたように見える。
そういうことではないだろうか、と推測するのだが、そう言った話は余りない。
ねじれるというのも大げさで斜めというべきであろう。
そんなもので、写真を見ながらCADで図面を描いている。
煉瓦でアーチを作るというのは頭で考えるほど楽なものではないのが実感する。